« 地元の話題その1 | トップページ | ラジオ出演についてお知らせ »

30期生インタビューその5

30期生インタビューその1その2その3その4

皆さまこんにちは。「てれさの部屋」の時間です。連続ドラマの1クールで言えば、ここらあたりがちょうど中だるみの時期ですが、気合を入れてお送りしたいと思います!

さて、第5回となる今回のゲストは、球場で誰もが一度は名前を呼んだことがある、「ピッチャー中村」こと中村幸稔さんです。

◆それではまず、高校時代のことからお聞きします。1年から3年までのクラスと担任の先生を教えてください。

(中村)1年生の時は6組で梶原先生、2年生の時は5組で南先生、3年生は2組の男女クラスで高木先生です。

◆3年で満を持して男女クラス、というパターンでしょうか。印象に残っている恩師はいらっしゃいますか?

(中村)マンを持してというより、一桁少ない羨(セン)望でしたね。高木先生の乳カップは今でも身体が覚えています。

◆悲しい過去ですよね。では、所属していた部活動の紹介をお願いします。

Photo(中村)野球部に所属していました。今だから言えることですが、皆さんの「中村君カンバッテェ~~!!」はマウンドでとても元気づけられました。その声で立ち直った場面がかなりありましたね。ちょっとしたエピソードとしては、巨人と阪神と広島のスカウトが挨拶に来ましたが、大学進学を理由にお断りしました。でも、もしかしたら指名されたのではないかと思い、ドラフトの当日は受験勉強をしながら徹夜で朝刊を待っていた思い出があります。

◆もしかしたらプロ野球の選手になっていたかもしれないんですね。野球 にまつわる思い出も併せてお願いします。

Photo_3 (中村)残念ながら甲子園には出場できませんでしたが、一級下の後輩が春の選抜甲子園出場を決めたときは自分のことのように嬉しかったですね。慶應大学では背番号17で神宮のマウンドには上がったものの肩の故障で母校の期待に添えなかったことが不本意です。

◆母校の甲子園出場が望まれますね。野球以外の高校時代の思い出も教えてください。

(中村)思い出・・・。日本史ですね。2年生のときの科目ですが、学年でPhoto_12 番を取ったことがあります。平均95点くらいでした。100点も複数回あります。当時の船津先生と3年程前に黒崎でお会いする機会があり、その話で盛り上がりました。当時は山川出版の赤本を参考書としていましたが、今でも覚えていることがあります。「志賀島の金印-漢委奴國王印を発見したのは誰か?」という問題です。答えは「甚兵衛さん」・・・。

◆「誰?」と突っ込みたくなりますよね。読んでいた本や好きだった歌は何でしたか?

25_2 (中村)本では「宮本武蔵」を愛読書にしていました。好きだった歌は、かぐや姫の「♪僕の胸でおやすみ」…。高校時代から5年間の遠距離となった初恋の女性H.Yさん(小倉高校1級後輩)が新潟に旅立つ時、勝山公園でレコードをプレゼントしました。一生忘れることのない曲です。

◆勝山公園ってところが泣かせます。さて、現在のプロフィールを紹介してください。

(中村)プロフィールから抜粋します・・・・
2005大学卒業後、KBC九州朝日放送に入社。報道部に配属、事件担当の放送記者として従事する。3年後、テレビ制作部に配属、レギュラー番組のディレクターのほか、音楽祭などの制作を担当、スポーツ部に配属後はKBCオーガスタゴルフのチーフディレクターなどを勤める。その後テレビ営業部副部長、東京支社テレビ営業部副部長を歴任後、40歳で退職。有限会社フェニックコーポレーションの取締役となる。フリーの企画コンサルタントを経て、2005(平成17)年株式会社エイトクリエイトを設立。テレビ・ラジオ番組の企画制作およびCM制作、インターネット放送局の開発 などを行う。日本放送作家協会会員。放送作家・構成作家。ペンネームPhoto_5は反鎌十心(あんがまじゅうしん)。
小倉のまちづくりを考える会(フードカルチャー委員会) わっしょい百万夏まつり実行委員(2007年~) わっしょい百万夏まつり広報部会長(2009年~) プロバスケットボールチーム「ライジング福岡」エグゼクティヴアドバイザー・雷神会北九州支部 事務局長(2007年) ほか
※参考;日本放送作家協会九州支部⇒http://www.writer9.jp/profile.htm

Photo_6 以上になります。

◆いろいろなことに携わっておられる現在のようですが、30年前は、今の年齢の自分をどのように思い描いていましたか?

(中村)30年前は20歳・・・50歳の自分を考えることは全くありませんでした。しかし、「死ぬまで夢を持ち続ける・・・」という明確な目標は持っていましたね。

◆「信念の人」という印象がありますよね。では、高校を卒業してから現在までの30年間で、最も印象に残っていることや一番の思い出は何です か?

(中村)エピソードを3点ばかり・・・
1.高校時代。慶應大学に進学するといったら、祖母から「大学なんか行かずに自衛隊に行け」と言われた。
2.平成3年。パチンコの花満開で13万円勝った。親友(高校同期・KBCでも同期の月俣幸三君)から 「そんなん勝ったら死ぬぞ」と言われた次の日、祖母が交通事故で亡くなった。以来、パチンコは控えている。
3.元妻との出逢いの翌日。初めてのデート・・・。待ち合わせは博多駅筑 紫口の電話ボックス・・・時間になっても一向に現れません。自宅に電話すると「家は出ました」との返事。じっと待ちました。・・・2時間後・・・彼女は現れました。「行くかどうか、迷っていた」と語りました。その日、二人でパットパットゴルフに行きました。楽しい初デートでした。それ以来、待つのは得意になりました。結果、バツイチ独身です。以上になります。

◆携帯電話がない時代の「せつない思い出」ですね。30年後は、どんな自分になっていると思いますか?

Photo_8 (中村)30年後は80歳・・・「月見草のように・・・生涯現役」です。

◆最後に、30期の皆さんや母校へひとことお願いします。

(中村)明陵同窓会の公式サイトは弊社で制作しています。リンク欄で30期サイトへもリンクしています。是非、アクセスをお願いいたします。
※参考;明陵同窓会の公式サイト⇒http://www.meiryo.net/
また、2010年野球部は創部100周年を迎えます。100周年を記念して2010年5月に100周年史を発刊いたします。
まもなくご購入の予約が始まります。皆さんのご協力をお願いいたします。
※参考;明陵同窓会の公式サイト⇒http://www.kurakouyakyu.or.tv/

◆高校時代そのままに、今もこれからもパワフルなピッチャー中村さんでした。お忙しいところ、ご協力ありがとうございました。

それでは、次回の「てれさの部屋」もお楽しみに!

|

« 地元の話題その1 | トップページ | ラジオ出演についてお知らせ »

30期生」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 地元の話題その1 | トップページ | ラジオ出演についてお知らせ »