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2009年3月

地元の話題その5

地元の話題その5

地元の話題その1その2その3その4

◆福岡の桜は満開です。

お花見のピークは今週末だそうです。

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地元の話題その4

地元の話題その1その2その3

◆福岡の交通機関にICカードが導入されました。

西鉄は「nimoca(ニモカ)」、JR九州は「SUGOCA(スゴカ)」、福岡市営地下鉄は「はやかけん」といいます。

今のところ、この3つのカードの相互利用はできませんが、来春以降にはこれらのカードとJR東日本の「Suica」が相互利用できるようになるそうです。慣れない駅で切符の料金を調べたり、乗り換えで何度も切符を買う苦労から解放されるといいですね。

西鉄の「nimoca」は、北九州市内ではまだ利用できない路線もあるようですが、高速バスの福岡~小倉線や福岡都市圏のほとんどの路線で利用できるそうです。また、電子マネーやポイントカードの機能を付けることができるので、小倉のチャチャタウン、天神のコアやソラリアなどでよく買い物をする人には便利かもしれません。

ちなみにこれらのカードのネーミング。「すごかぁ」とか「はやかぁ」とか言う博多弁から来ていると思うのですが、小倉の人は「~かぁ」って言いませんよね。

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地元の話題その3

地元の話題その1その2

◆北九州市の観光大使に「芋洗坂係長」が選ばれました。

芋洗坂係長は、門司の出身で1967(昭和42)年生まれの41歳。今はバラエティー番組などによく出演していますが、もともとはダンサーを目指していたそうです。

北九州市の好感度アップのため、活躍してほしいですね。

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地元の話題その2

地元の話題その1

◆3月25日から、小倉の中心部で「路上喫煙」等に罰則が適用されます。

北九州市では、平成20年4月に「モラル・マナーアップ関連条例」が施行され、21年3月25日から、小倉北区の一部で、「ごみのポイ捨て」「飼い犬のふんの放置」「路上喫煙」「落書き」をすると1,000円の過料を徴収されることになります。

罰則が適用されるのは、小倉駅の南側、平和通、京町銀天街、紫川、小文字通りで囲まれた一帯と、市役所、勝山公園一帯です。

東京や福岡市の繁華街ではすでに導入されていることですが、小倉でも「くわえタバコ」などに対する罰則が強化されるということです。

地元へ里帰りする皆さん、「小倉駅を出て一服」は慎みましょう!

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ラジオ出演についてお知らせ

30期生のラジオ出演についてお知らせします。第1弾第2弾

植木光彦さんが北九州市中心部を放送エリアとするFM KITAQの番組「ラジオ自叙伝グラフティー」に1時間、生放送出演します。末松祥典さんからつながる「同級生の輪」シリーズ第3弾となります。

  《日時》2009年3月19日(木)19:00~20:00
  《番組名》「ラジオ自叙伝グラフティー」
  《出演》 植木医院 院長 植木 光彦
  《内容》 音楽を軸に過去・現在・未来を綴る。ゲストをお招きする生放送トーク番組。人に歴史あり。その人の半生、これからの夢などをたっぷり1時間、生放送でお話をうかがいます。
  《放送局》FM KITAQ 78.5MHz 
   ※北九州市中心部をエリアとする放送局です。 カーラジオだと視聴範囲が広くなります。

番組紹介サイト⇒http://www.fm-kitaq.com/fm/p-radiojijyoden.htm

 

地元限定の放送ですが、聴取された方は感想などお寄せください。

 

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30期生インタビューその5

30期生インタビューその1その2その3その4

皆さまこんにちは。「てれさの部屋」の時間です。連続ドラマの1クールで言えば、ここらあたりがちょうど中だるみの時期ですが、気合を入れてお送りしたいと思います!

さて、第5回となる今回のゲストは、球場で誰もが一度は名前を呼んだことがある、「ピッチャー中村」こと中村幸稔さんです。

◆それではまず、高校時代のことからお聞きします。1年から3年までのクラスと担任の先生を教えてください。

(中村)1年生の時は6組で梶原先生、2年生の時は5組で南先生、3年生は2組の男女クラスで高木先生です。

◆3年で満を持して男女クラス、というパターンでしょうか。印象に残っている恩師はいらっしゃいますか?

(中村)マンを持してというより、一桁少ない羨(セン)望でしたね。高木先生の乳カップは今でも身体が覚えています。

◆悲しい過去ですよね。では、所属していた部活動の紹介をお願いします。

Photo(中村)野球部に所属していました。今だから言えることですが、皆さんの「中村君カンバッテェ~~!!」はマウンドでとても元気づけられました。その声で立ち直った場面がかなりありましたね。ちょっとしたエピソードとしては、巨人と阪神と広島のスカウトが挨拶に来ましたが、大学進学を理由にお断りしました。でも、もしかしたら指名されたのではないかと思い、ドラフトの当日は受験勉強をしながら徹夜で朝刊を待っていた思い出があります。

◆もしかしたらプロ野球の選手になっていたかもしれないんですね。野球 にまつわる思い出も併せてお願いします。

Photo_3 (中村)残念ながら甲子園には出場できませんでしたが、一級下の後輩が春の選抜甲子園出場を決めたときは自分のことのように嬉しかったですね。慶應大学では背番号17で神宮のマウンドには上がったものの肩の故障で母校の期待に添えなかったことが不本意です。

◆母校の甲子園出場が望まれますね。野球以外の高校時代の思い出も教えてください。

(中村)思い出・・・。日本史ですね。2年生のときの科目ですが、学年でPhoto_12 番を取ったことがあります。平均95点くらいでした。100点も複数回あります。当時の船津先生と3年程前に黒崎でお会いする機会があり、その話で盛り上がりました。当時は山川出版の赤本を参考書としていましたが、今でも覚えていることがあります。「志賀島の金印-漢委奴國王印を発見したのは誰か?」という問題です。答えは「甚兵衛さん」・・・。

◆「誰?」と突っ込みたくなりますよね。読んでいた本や好きだった歌は何でしたか?

25_2 (中村)本では「宮本武蔵」を愛読書にしていました。好きだった歌は、かぐや姫の「♪僕の胸でおやすみ」…。高校時代から5年間の遠距離となった初恋の女性H.Yさん(小倉高校1級後輩)が新潟に旅立つ時、勝山公園でレコードをプレゼントしました。一生忘れることのない曲です。

◆勝山公園ってところが泣かせます。さて、現在のプロフィールを紹介してください。

(中村)プロフィールから抜粋します・・・・
2005大学卒業後、KBC九州朝日放送に入社。報道部に配属、事件担当の放送記者として従事する。3年後、テレビ制作部に配属、レギュラー番組のディレクターのほか、音楽祭などの制作を担当、スポーツ部に配属後はKBCオーガスタゴルフのチーフディレクターなどを勤める。その後テレビ営業部副部長、東京支社テレビ営業部副部長を歴任後、40歳で退職。有限会社フェニックコーポレーションの取締役となる。フリーの企画コンサルタントを経て、2005(平成17)年株式会社エイトクリエイトを設立。テレビ・ラジオ番組の企画制作およびCM制作、インターネット放送局の開発 などを行う。日本放送作家協会会員。放送作家・構成作家。ペンネームPhoto_5は反鎌十心(あんがまじゅうしん)。
小倉のまちづくりを考える会(フードカルチャー委員会) わっしょい百万夏まつり実行委員(2007年~) わっしょい百万夏まつり広報部会長(2009年~) プロバスケットボールチーム「ライジング福岡」エグゼクティヴアドバイザー・雷神会北九州支部 事務局長(2007年) ほか
※参考;日本放送作家協会九州支部⇒http://www.writer9.jp/profile.htm

Photo_6 以上になります。

◆いろいろなことに携わっておられる現在のようですが、30年前は、今の年齢の自分をどのように思い描いていましたか?

(中村)30年前は20歳・・・50歳の自分を考えることは全くありませんでした。しかし、「死ぬまで夢を持ち続ける・・・」という明確な目標は持っていましたね。

◆「信念の人」という印象がありますよね。では、高校を卒業してから現在までの30年間で、最も印象に残っていることや一番の思い出は何です か?

(中村)エピソードを3点ばかり・・・
1.高校時代。慶應大学に進学するといったら、祖母から「大学なんか行かずに自衛隊に行け」と言われた。
2.平成3年。パチンコの花満開で13万円勝った。親友(高校同期・KBCでも同期の月俣幸三君)から 「そんなん勝ったら死ぬぞ」と言われた次の日、祖母が交通事故で亡くなった。以来、パチンコは控えている。
3.元妻との出逢いの翌日。初めてのデート・・・。待ち合わせは博多駅筑 紫口の電話ボックス・・・時間になっても一向に現れません。自宅に電話すると「家は出ました」との返事。じっと待ちました。・・・2時間後・・・彼女は現れました。「行くかどうか、迷っていた」と語りました。その日、二人でパットパットゴルフに行きました。楽しい初デートでした。それ以来、待つのは得意になりました。結果、バツイチ独身です。以上になります。

◆携帯電話がない時代の「せつない思い出」ですね。30年後は、どんな自分になっていると思いますか?

Photo_8 (中村)30年後は80歳・・・「月見草のように・・・生涯現役」です。

◆最後に、30期の皆さんや母校へひとことお願いします。

(中村)明陵同窓会の公式サイトは弊社で制作しています。リンク欄で30期サイトへもリンクしています。是非、アクセスをお願いいたします。
※参考;明陵同窓会の公式サイト⇒http://www.meiryo.net/
また、2010年野球部は創部100周年を迎えます。100周年を記念して2010年5月に100周年史を発刊いたします。
まもなくご購入の予約が始まります。皆さんのご協力をお願いいたします。
※参考;明陵同窓会の公式サイト⇒http://www.kurakouyakyu.or.tv/

◆高校時代そのままに、今もこれからもパワフルなピッチャー中村さんでした。お忙しいところ、ご協力ありがとうございました。

それでは、次回の「てれさの部屋」もお楽しみに!

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地元の話題その1

◆3月11日(水)、県立高校の学力検査(入学試験)がありました。

小倉高校の現在の定員は320名。今年受験した生徒は、1993(平成5)年生まれを中心とした子供たちで、合格すれば「64期」の倉高生となります。

平成5年といえば、Jリーグが開幕したりEUが発足したりした年で、「ついこの間」という気がするのですが、その年に生まれた赤ちゃんが、もう私たちの後輩として入学する年齢にまで育ったんですね。

30期生のお子さんで受験されたかたもいらっしゃるのではないでしょうか。合格を祈念しています。

合格発表は、3月18日(水)の予定です。

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地元の話題をお届けします

皆さまこんにちは。いまだに「5分前集合」の呪縛から解放されない管理人の てん・てれさ です。

さて、30期の情報交換の場として昨年10月19日に開設したこのサイト。5ヶ月を経て、地元のみならず、日本全国、また海外から、多くの皆さんに訪問していただけるようになりました。ありがとうございます。

そこで、少しでも地元の小倉、北九州、福岡の情報をお届けしたいとの思いから、「地元の話題」コーナーを立ち上げることとしました。

地元在住の皆さん、いろいろな情報をお寄せください!

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30期生インタビューその4

30期生インタビューその1その2その3

皆さまこんにちは。「てれさの部屋」の時間です。企画倒れかと思われたこの「てれさの部屋」も、めでたく第4回を迎えることができました。この記念(?)に、(仮題)を取ることにしましたので、よろしく~♪

さて、今回のゲストは、会うと誰もが「こんなに爽やかなら、診てもらいたいな」と思ってしまう、「ドクター浅野」こと浅野茂利さんです。

◆まず、高校時代のことからお聞きします。1年から3年までのクラスと担任の先生を教えてください。

Koukou_3 (浅野)1年9組、矢野クラス。2年2組、高木クラス。3年6組、岡崎クラスでした。

◆あの倉高にあって、2回も男女クラスになったとは珍しいですね。担任の先生で印象に残っていることはありますか?

(浅野)矢野先生は、ちょうど同窓会総会の幹事学年で体育館の会場作りを生徒に手伝わせ、学食のカレーをみんなにおごってくれたのをなぜか覚えてます。矢野先生の太っ腹に感動したのか?たまたま私が腹ぺこだったのか・・・?高木先生は、濃いキャラと体育教官室前での「○年○組××入りますっ!」…。岡崎先生は、2、3年前一緒にテニスをしました。健脚でした。

◆総会幹事であれば、まだ30代だったはず。今から思えば、あのころの先生方の多くは、今の私たちの年齢よりも若かったんですよね。無茶苦茶な私たちをよく導いてくださったと感謝しています。部活動は何かされていましたか?

(浅野)3年間帰宅組、今の私からは信じがたい日常でした。

◆「もともと体育会系だけど、高校時代は帰宅組」のパターン、割と多いですよね。その分、大人になって取り返す人が多いのでしょうか。高校時代、楽しかったことやつらかったことは何ですか?

(浅野)楽しかったことは、O君ちの本堂でクリスマスパーティーだったか?同級生10人程度のちょっとした宴会で盛り上がったこと。初めて「○○の××割(←自主規制)」を飲みました。つらかったことは、体育の時間。冬の屋外でも短パンなのはきつかった。

◆O君ちの本堂は、いろいろな人の思い出に登場します。よほど楽しかったんでしょうね。冬の体育といえば寒稽古、今でもあるんでしょうか?寒くて眠くてつらかったですね。では、現在のプロフィールを教えてください。

(浅野)整形外科医ですが田川郡福智町の診療所で幅広く診察しています。職業柄、高校の頃の寡黙さからは全く予想できない多弁になりました。高校時代に貯まりに貯まって飽和状態になった運動エネルギーを大学でテニスにぶつけてしまったのが運の尽き、今でも週3-4回のテニス三昧の生活です。

◆運動エネルギーといえば、「エネルギー保存の法則」とかありましたね。内容はすっかり忘れたけど。黒板に向かってそんな勉強もしていた30年前は、今の年齢の自分をどのように思い描いていましたか?

(浅野)数年先のことも考えていなかった。

◆案外そういう人、多いのかもしれません。次のテストをどう乗り切るかで頭が一杯でしたよね。それでは、高校を卒業してから現在までの30年間で、最も印象に残っていることや一番の思い出は何ですか?

All_kokura (浅野)研修医の時に「人の死」に毎週のように向き合ったこと。学生気分の抜けきらない時に、一気に医療現場の最前線に投げ出されて、自分の一挙手一投足が生死に関わるという緊張感。今のように研修医の指導体制が整備されていなかったので、責任と不安でガチガチでした。数時間しか寝られない日が何日も続いた記憶があります。おかげで甘っちょろい性格が叩き直されました。

◆この質問は、誰に聞いても重く深い答えが返ってきます。30年を懸命に真摯に生きてきた証ですよね。ところで、30年後は、どんな自分になっていると思いますか?

(浅野)80歳ですかー、自宅の縁側でのんびりなんていいですね。

◆いやいや、80歳になってもテニス三昧の生活がお似合いだと思いますよ。最後に、30期の皆さんや母校へひとことお願いします。

(浅野)皆さん、気分は若く、でもそろそろ体に無茶させないようにしましょう。卒業後、小倉高校に行ったのはたしか1回だけ。こんな不義理な私でも同窓会にかててくださいませ。

◆厳しい医療現場にあって、若さと優しさ、そして強さを維持されていて本当に敬服します。テニスだけでなく、フォークソングの腕前もかなりのものとお見受けしました。これからも同窓会の会合に顔を出してくださいね。お忙しいところ、ご協力ありがとうございました。

それでは、次回の「てれさの部屋」もお楽しみに!

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ラグビー部活動報告

ラグビー部主将の唐生昌平さんから活動報告があったのでお知らせします。

2月28日(土)、東京で小倉高校ラグビー部関東支部の支部総会が開かれました。

P2280067

支部総会と言っても、ただの飲みごとですが・・・

北九州から平野幹事長(高24期)海原副幹事長(高36期)と私(副幹事長)

Pict0109_3 の3人が参加をしました。

参加人員は総勢24名で30期は6名も参加し、会を大いに盛り上げました。

参加者:唐生、高田、宮本、細川、竹生、長澤(馬場)

夜遅くまで昔を思い出し、他愛もない話に花を咲かせました。

同期のYさんの弟君(33期ラグビー部)も参加してました。

昼間はラグビーの日本選手権決勝(28日14:00キックオフ)を観戦し、夜は飲みごとと、非常に有意義な週末を送ることができました。

ラグビー部の皆さん、お疲れ様でした。他の部の皆さんも、活動報告をお寄せください!


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30期生インタビューその3

30期生インタビューその1

30期生インタビューその2

皆さま、お待たせしました。「てれさの部屋(仮題)」の時間です。そろそろ(仮題)を取りたいと思っていますがいかがでしょうか?

さて、第3回のゲストは、若さとノリの良さが密かに話題となっている「頭(かしら)」こと、神谷(中田)嘉三さんです。

◆それではまず、高校時代のことからお聞きします。1年から3年までのクラスと、担任の先生を教えてください。

3020080819082307 (神谷)1年のときは8組、担任は黒光先生で、家庭環境のことで最も親身に相談に乗って下さいました。2年は5組で、南先生。1年2年と男子クラスだったので、3年になっても男クラだと思い込んでいたら、男女クラスに。3年2組、高木先生でした。2年間女性とはほとんど会話したこともなかったので、クラスの女性とさえ会話不能に…。

◆クラス分けというのは、運命を左右するかもしれないですよね。今は女子の数も増えて、「男クラ」も減ったと聞いています。所属していた部活動は何でしたか?

(神谷)1年生の時に中学同様「陸上部」(長距離走)に入部したものの、夏頃に体調不良が原因で退部。以後、中学時代同様に新聞配達を再開。ホントは「応援団」に入りたかったのに当時決断できなかったことを今でも後悔しています。

◆「応援団」に入るには、やはりそれ相応の覚悟が要るというのは、想像に難くないです。自分から見て、どういう高校生だったと思いますか?

(神谷)小中学校時代は誰とでもすぐに友達になれましたが、高校に入ってからクラスの雰囲気に馴染めず、人見知りがひどくなりました。第三者からみれば、いわゆる「ネクラ」に。2年・3年と進級しても事態はあまり改善しませんでした。なので、高校時代の私のことを記憶されている方は少数かと。

◆「ネクラ」と言われて「自分のことかも」と思っている人は、案外多いのでは?足跡はいろんなところに残っているのではないかと思いますが、高校時代の一番の思い出を聞かせてください。

(神谷)楽しかったことは、高校1年の夏休み、中学時代の友達と萩・津和野を旅行したことくらいかな。つらかったことは、1年の時に両親が離婚、3年で父親が死亡と家庭環境が激変したことです。

◆当時、萩・津和野は「アンノン族」で賑わっていましたね。いろいろな思いを抱えていた高校時代、読んでいた本や好きだった歌なども紹介してください。

(神谷)読んだ本は、日本マクドナルド創業者の藤田田氏著「頭の悪い奴は損をする」です。当時の小倉には、まだマクドの店舗はなかったと思います。中学3年の頃より最も影響を受けたのが「よしだたくろう」さん。当時のメッセージソングには哲学があり、友達のいない自分はオールナイトニッポンのような深夜放送にもハマりました。ネクラな私の楽しみは、井筒屋裏にあった「ダウンビート」というレコード屋さんで、毎月一枚ずつ拓郎や陽水のLPレコードを購入することでした。もちろん新聞配達のバイトで貯めたお金で。

◆マクドナルドが魚町にできたときは、ちょっとした「事件」だったような気がします。深夜放送、LPレコード、懐かしいですね。「レコード屋さん」という響きも、きゅんと来るものがあります。人それぞれの「青春」があるんですよね。ところで、現在は何をされているんですか?

053 (神谷)平成8年にそれまで勤めていた会社を退職し、起業の道へ。現在やってる業務は「結婚式・イベント・観光案内等の人力車出張サービス」です。小倉祇園太鼓の祭好きとマラソン・トライアスロンの趣味が高じて生業になりました。「起業・独立」のテーマを中心としたブログを毎日更新中で、いずれは著書として出版を考えています。

◆ブログを毎日更新とはすごいですね!若さとバイタリティーにあふれた現在ですが、30年前は、今の年齢の自分をどのように思い描いていましたか?

004_2 (神谷)ほぼ父親の亡くなった年齢であり、全く想像したこともなかったです。

◆では、高校を卒業してから現在までの30年間で、最も印象に残っていることや一番の思い出は何ですか?

003 (神谷)最も印象に残っていることは、大学時代を過ごした神戸の街が壊滅した「阪神淡路大震災」です。95年1月14日~16日まで京都・神戸を旅行し、16日の夜、大阪梅田より高速バスで当時の勤務地である信州松本へ戻りました。その翌日の出来事だけに自分の人生観を大きく変えるキッカケになりました。また、一番の思い出は、バブル絶頂期の平成元年、トライアスロンレース出場・富士山登頂・アメリカ西海岸一人旅をやったことです。

◆誰にでも言えることかもしれませんが、30年というのは本当に長い時間 です。一言では言い表せませんよね。30年前は、今の自分を想像したことがなかったそうですが、これから30年後は、どんな自分になっていると思いますか?

20070721210534(神谷)生涯現役を自任しているので、80歳でも若者にまじって一緒に人力車を曳いているかと(笑)。

◆そんな80歳の姿、想像するだけで楽しいですね。何かと背負うものが多い年代ですが、同期の頑張りを思うと勇気付けられます。最後に、30期の皆さんや母校へひとこと。

(神谷)30期の皆さんへ、高校時代はネクラで目立たぬ自分でしたが、過去のしがらみにとらわれることなく交流して下されば、うれしく思います。30年間言えずに胸にしまっていたことですが、母校へひとこと。一年浪人した後、高校に合格の報告へ行ったところ、職員室の壁に各大学の合格者名が張り出されていました。自分の名前を探したところ、何と「二浪以上」の欄に名前が書かれていた(怒)!

◆合格報告の際の喜び半分、怒り半分の姿が目に浮かぶようですね。30年を経て、変わったこと、変わらないことがありますが、同じ空間で同じ時間を過ごしたからこそ、共有できる「何か」があるような気がします。これからも健康に留意して、たくさんの「夢」を運んでくださいね。お忙しいところ、ご協力ありがとうございました。

それでは、次回の「てれさの部屋(仮題)」もお楽しみに!

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